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第5回 親からもらった、とっておきの言葉コンテスト(2017年)

2017-12-05
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たくさんのご応募ありがとうございました。

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2017年8月から10月にかけて実施いたしました!

今年で5回目になる「親からもらった、とっておきの言葉コンテスト」
全国から692人のご応募をいただきました!

たくさんのご応募ありがとうございました。

お寄せいただいた作品全てをご紹介したいのですが、僭越ながら選考委員で、泣いたり笑ったりしながら3点を選ばせていただきました。

来年は、あなたの「とっておきの言葉とエピソード」をお待ちしております。

 オヤノコト賞
(宮本明美様)
苦しい時ほど大きな声で笑いなさい
今年の5月で母も、この世からいなくなってしまいました。厳しい親でしたが亡くなってしまった今、守られていた事を痛感しています。いつもいつも笑っていて周りの人もツイツイ一緒に笑って、とても幸せそうに感じました。母が私に、苦しい時や悲しい時こそ、いつもいつも『大きい声で笑ってごらん??』と言っていたのを忘れません。

 編集長賞
(田邉 司様 兵庫県)
泣きながらでも歩きなさい。
一見、幼い頃に言われそうな言葉ですが、私がこの言葉を親からもらったのは高校を卒業して間も無い18の夏でした。新社会人になって仕事が上手くいかず部屋で一人泣いていた私に向けた普段寡黙な父からの説明も無いたった一言の言葉。当時の私にはとても考えさせられる深い言葉でした。その時、泣きながらでも歩き続けたおかげで涙もすぐ乾きました。まさに、とっておきの言葉です。

 編集長賞
(中西ひろこ様)
じゃあ、忘れないで、しっかり見てて
祖母の介護が始まったとき、何か自分に出来ることがあるか聞いたときに笑顔と一緒に返ってきた言葉。かっこいい人達だなあと思ったし、そう言うなら全部見届けて、いつの日か両親に介護が必要になった時は同じように誠実にありたいと思った。もちろん手伝えることはしたつもりだけれど、これは自分達がやりたいんだと、ほとんど頼ってくることは無かった。自分もこんな強い人になりたい。

編集部によるピックアップ作品

最後まで選考に残った素敵な作品をご紹介いたします!

風邪引かないで

私の母は、もうすぐ90歳になります。認知症が進んで、もう私の子供の事は忘れてしまっています。背中も曲がって、本当に小さくなってしまった母。見るたびに、あと何度会えるだろうかと考えます。そんな母に会いに行くと必ず「風邪引かないで」と言います。老いてもまだ私を労っているのです。本来なら私から言うべき言葉です。でも母にとっては、いつまでも私は子であり母は親であって、その立場は一生変わることがないのです。
(田辺様 山梨県)



おまえがよかふうにしろ。よかふうにしてもらえるから。

結婚式の前日、亡き父がポツリと言った。よかふうにとは、地元で大切に扱うという意味だ。「先に相手の方を大切にしなさい。そうすればおまえは大切に扱われる。」という私への愛情を感じる言葉だった。歩んできた結婚生活の中で幾度となく私はこの言葉を思い出し身を正すことができた。父は母を生涯よかふうにした。やがて高齢となり病に倒れた父を母は心から介護した。お父さんありがとう、私は幸せな日々を送ってます。
(二原様 宮崎県)


人生、何はあれどんな道だってあると思うよ。
私が就職活動を終え、内定のないまま大学を卒業し、塞ぎ込みがちだった折に母がかけてくれた言葉です。「決められた通りに会社に入り仕事をしていく」その固定観念が強く、意識し過ぎていた自分の肩の荷を軽くしてくれました。生きていく上で自己の思考の変化ないし方向転換で多様な考え方を持てるようになった言葉でもありました。社会人になった今でも視界を広げてくれる大切な一言だったと思います。
(斉藤様 東京都)



ええ、ええ。人には一緒にくらす家族がいるもんじゃ

その夜、職員気質でいつも口の重い父が最後に一言、口にした言葉だった。父の前には僕の恋人──息子の彼氏が緊張した顔で座っていた。「ごめん。僕は女の人とは結婚できん」母は心配そうに僕らを見ていた。父は戦争で父母をともに亡くし、不遇な子供時代を送った。ともに生きてゆける家族がいるのならば、それが男だろうと女だろうと関係ない──父の人生が凝縮された言葉、息子への想い。帰り道、僕は静かに泣いた。
(吉田様 東京都)

うまく生きてる人なんていない。頑張ったら頑張った分だけ報われる

わたしが大事な人を亡くしたとき伯母に言われた一言です。ほんとに辛かった時この言葉に助けられました。結構ありきたりの言葉かも知れません。わたしは恵まれなかったのか、色々と考えて毎日泣いてました。でも'うまく生きてる人なんていない'その言葉がわたしの心にグッときました。人間だれしも悲しみに暮れることもある、自分は恵まれてないなんて思ってはいけないのだと。今でもこの言葉を忘れないで生きています。
(横田様 東京都)

つらかったこと、腹立ったことは全部忘れたらええの、嬉しかったこと、楽しかったことだけ覚えてたらそれでええんよ。

私の娘は少し体に障がいがあり、体も小さく大きなメガネをかけています。子育てしていると、周りの方々はあたたかい言葉をかけてくださり本当に感謝していますが、時々心無い事を言う人がいたりもします。そんな時、義母にその事を話すと、この言葉が返ってきました。この言葉のおかげで娘に関わってくださる方にいつも感謝の気持ちを持ち続けていられますし、笑顔でいられます。
(大島様 大阪府)

人生終わるときに帳尻が合っていればいいんだよ
試験で思うような結果を得られなかった高校3年生の冬、半ば自暴自棄になりろくに食事も摂らなくなった私に父が言った言葉です。
希望の大学や入れなくても、どんな失敗をしても、自分が感じる幸せを手に入れ人生の終焉に良い人生だったと言えればそれで良いと言われたことで心救われました。
(若奈様 東京都)

偽善も死ぬまでやり通したら親切や

どうしてそういう話になったのかははっきり覚えていないですが。高校生だった私に父が言った言葉。親切な事を思うだけで何もしないのと、名声のためかもしれないけど人に親切にし続けるのとどちらが役に立つのか?年齢を重ねてより考える言葉です。
(山田様 兵庫県)

迷惑を全く掛けずに生きることは出来ない。だから、迷惑を掛けた分だけその人が困っている時は手を差し伸べてあげなさい。
ある日、母が何気無しに呟いた言葉。人様に迷惑を全く掛けない生き方は難しいけれど、その人が困っている時に手を差し伸べてあげることは出来るからね。その言葉を聞いてからは、自分の気持ちに余裕を持つ事が出来るようになりました。
(佐藤様 宮城県)

辛い時は逃げなさい。やりたくなったらまた1から始めればいいわ。遅すぎる事なんてないのよ。頑張りなさい。

学校の部活、クラブチームで小中と6年間バスケをやってきました。監督がとても怖く、夏場は吐きっぱなしのような練習。毎日毎日行きたくないと訴えている私の気持ちを誰もわかってくれない、助けてくれないと塞ぎ込んでいた時母に言われたこの一言。本当に救われました。またバスケがやりたくなったらやればいいじゃない。今は休みなさい。よく頑張ったねと言われた気がしてとても感動しました。
(安藤様 千葉県)
 

人生、60,70%できれば充分/その人の人生、良かったかどうかは死ぬときわかるもの

私が幼い頃から厳格な父。私自身何事にも100%求めるように・・・。あるとき怪我をして、会社も辞めリハビリは上手く進まず、焦ったり悩んだり不安だった私にくれた2つの言葉。あの厳格な父がこんな事をいうとは信じられなかったけど今では完璧を求めすぎる時はこの言葉を思い出します。もう一つは「人生何があったとしても最終的に幸せと思えるならよし。つまり自分次第」だという事を教えてくれた言葉です。
(神内様)

大丈夫。背中に花丸、背負ってるよ。

仕事でミスをし、背中を丸くして帰った日。落ち込む私の背中に母親が人差し指で大きな花丸を書いた。背中に花丸を背負っているから大丈夫よと。小学校の頃、漢字の練習で母に書いてもらった花丸を思い出した。いくつになっても母は母であり、大人になっても陰ながら母に支えられている自分を情けなくも、幸せ者だとも感じた。人差し指で書いた背中の花丸があったかくなった。
(加藤様 神奈川県 )

石橋を叩くならリズムよく。タンタンターンでトントントーン。

幼いときから臆病で慎重派の私は、何か行動するとき「失敗したらどうしよう」「変な目で見られたらどうしよう」とすぐに悩みます。まさに石橋を叩いて渡る性格。そんなとき父はよく笑顔で「どうせ叩くならリズムよく叩け。タンタンターンって。リズムにのって歌でも歌って叩いたら楽しくなって、トントントーンって渡れるぞ」と。今でも臆病になることはありますが、父の可笑しな口調を思い出し、何事も楽しく挑戦しています。
(山下様 福井県)

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